躁鬱状態

長らく気分が優れない。いつからそのような状況にあるか遡ってみると中学のような気もするが、あのときはなんだかんだ明るくやっていたことが多かったようにも思うので、もしかすると高校に入ってからかも知れない。正直昔のことはあまり覚えていない。言うまでも無く、大学に入ってからもそうで、気分が重く、体が動かないことがよくある。ひどかった時には希死念慮が絶えず、ずっとそのことばかり考えていた。あんなことは初めてだった。本当に自分で死んでしまうのではないかと怖かった。常に憂鬱で心(心がなにかはっきり答えられないので、やはり気分と言うべきか)と体が重苦しいというわけではなく、なにかのきっかけで元気を取り戻すことがある。そのきっかけというのは、意識的に状況を打破するための思考回路を作ろうと努力したり、運良く生活状況が好転したりすることだ。明らかに鬱にならない状況というのもあって、それは友人と一緒に何かをするときだ。人とのふれあいは鬱にも効くらしい。最も、本当に鬱

のときは家から出るのは難しいし、友達に誘われてもなかなか応える気にはなれない。状態が軽度の時に有効だろう。しかし、さらに言うならば、多くの人間はそれほど鬱になったり希死念慮に悩まされるものでもないらしく、そのような人間と私のような鬱屈とした人間が交流するのは難しい。気持ち的にはほとんど不可能にさえ思える。こうして私はどんどん孤立していくのかもしれない。元気な状態になっても、経験上それが長続きすることはない。ふとしたきっかけで活力を得ることが出来たとしても、すぐに日常のささいなことで霧散してしまう。こういう考えがいけないのだろうが、我ながら弱すぎるし、耐久力がない。ずっと鬱状態にあれば、自分としても「ああ、これは病気だな」と自分を信用できるが、鬱状態躁状態が繰り返されると、単なる自分の怠慢なのではないかという考えが拭えない。苦しいといいながら、ふと自分に意識を向けてみれば、どうだ、楽しそうにやっているじゃないか。しかし、その楽しみは偶発的なもので、一過性のものなのだ。本当に嫌になる。私はどうやって生きていくのだろうか。どうしたら生きていられるのだろうか。何をやっても楽しくない。