普通人はどのように生き抜いていくべきか

 

ずいぶんと久しぶりの日記になってしまった。始めたころは、もっとたくさん投稿して自分の考えの変化を見比べたり精神的な変化を見比べたりするつもりだったが、新しい生活というのは往々にしてままならないものだ。

更新していなかった間何をしていたかを簡単にまとめると(このブログはSNSに載せていないし、誰も見ていないと思うが、自分の生活の整理のために)、オンライン授業になったせいで課題があらゆる授業で出され、それをただこなし、バイトを始めたことで週5日3、4時間をむなしい労働に費やし精神を摩耗していたとだけ書けばそれで済むかもしれない。大学の授業とはこういうものなのか、もっと自由で時間があって、興味のあることを勉強できると思っていたのにと落胆したのはもはや大昔のことのように思える。

近況まとめはこれくらいにして、タイトルについて。

会計士を目指すことをやめた。正確に言うと、やめる方向で生活している。そもそも会計士を目指していたことをこのブログで言ったか全く覚えていないが、そういうことだ。

そもそもなぜ会計士を目指したか。それにはいくつかの理由がある。まず一つ目は、大学受験のリベンジ。一浪したにもかかわらず現役時代に受けても受かったであろう駅弁大学に在学しているという屈辱、惨めさ。二つ目は、前に述べたことにも関連するが、学歴を得ることには失敗したので、難関資格を得ることで社会的立場を高めたいという欲。三つ目に、奨学金と教育ローンで金を借りているので、速やかにそれらを返済できる高収入の職に就きたいという金銭欲。リタイアもしたいし。大体こんな感じ。他にも会計士の専門性も魅力的だとは思うが、これは会計士を目指すほど強い動機にはならない。

そしてここからが本題になるが、諦めた理由は端的に言えばしんどかったからだ。普通会計士試験のためにTACや大原に申し込むことになるだろうが、80万弱はかかる。これは援助してもらえないから自分で貯金することになるが、今私の毎月のバイト代は9万弱で、ここから生活費を自分で出しているのでこの額をまるっと貯金に回すことは出来ないので、80万円貯めるにはうまくいっても10ヶ月はかかる。ここで問題になるのが私の労働忌避感である。働きたくない。バイトすら嫌だ。貯金の前段階である労働が苦痛なのに貯金なんて出来るわけがない。バイトやめたい。そしてその苦しい労働を経て貯金を成功させたとして、合格率10%の試験にこの私が受かるのだろうかという疑問がふつふつとわいてきたというわけだ。難関試験であることは最初から承知していたが、大学生活とアルバイトを繰り替える生活の中で精神的にも肉体的にも追い込まれ、当初の覚悟とやる気を保てなくなったということである。今現在生活費をバイトで払っているのに、会計士試験の勉強を始めてバイトをやめたらどうやって生活していくのかも結論がでなかった。そもそも、私は働きたくない。働きたくないのに、なぜ労働にまつわる資格なぞ取ろうとしていたのか。大学に落ちた悔しさ、申し訳なさ、今の大学に在籍している自分への不満が、私を名誉欲へと駆り立てたのであろうことは想像に難くない。今思えば、完全に一時の気の迷いであった。

私は凡人である。凡人というと、コンプレックスが強調されるので普通人と呼んでみる。普通人の私であるが、労働への忌避感と怠惰さには普通人を越えるものがあると自負している。そんな私はどのようにこの人生を生き抜いていけばいいのだろうかと最近ひたすらに考えている。みんなと同じように就職をして、安い給料をもらって、なんとなく生活してなんとなく老いていく。普通人ながら、このような人生は御免である。かといって、人並み以上の能力や努力が強いられる世界にこの身を投じる覚悟はない。日本の行く末が明るければ脳天気にいられたが、そうもいかないであろう。結論は出たと思ったらまたすぐ振り出しに戻る。こんなことが何度も何度も繰り返されている。私はどうしたいのか。疲れたからこれくらいにしておく。